未完の大仏に込められた祈り
なぜ、この山に仏像は造られたのか
― 未完の大仏に込められた祈り ―
呉の山中に残る未完の大仏。
なぜ、この山に造られたのでしょうか。
なぜ、完成しないまま残されたのでしょうか。
その答えを辿ると、
一人の僧の祈りへと行き着きます。
開祖・稲田源宗。
源宗は明治十二年、
奈良県生駒に生まれました。
若い頃より修行と求道に身を置き、
各地の霊山で厳しい荒行を重ねたのち、
明治三十九年、この山へ入りました。
その後、源宗は山中で修行を続けながら、
多くの仏像を自らの手で造り始めます。
やがて時代は、
戦争へ向かって大きく動き始めました。
社会全体が力へ傾き、
人々の心が激しさを増していくなか、
源宗は
「度し難い衆生を、この穢土から救わん」
と願い、
日本最大級となる大仏建立を発願します。
それは名誉のためではなく、
祈りのためでした。
救い難くとも見放さない
救い難くとも見捨てない
未完の大仏は、
戦争や災害、
時代の流れのなかで完成を見ることはありませんでした。
しかし、
完成しなかったからこそ、
その祈りは終わらなかったのかもしれません。
現在も山中には、
源宗が残した十三体の仏像が
静かに立ち続けています。
多くの方が、
この山でしばらく立ち尽くします。
最初は圧倒され、
やがて不思議な静けさに包まれていく。
源宗が残したものは、
単なる石仏ではなく、
「見捨てない祈り」
そのものだったのではないかと感じています。
未完だったからこそ、
この祈りは今も続いています。
それを受け取る人がいる限り、
この物語もまた、
終わることはありません。